性暴力から生きのびるために

報道機関の女性記者が長崎市幹部から性暴力を受けたとして、長崎市に損害賠償と謝罪を求めている裁判が2022年2月7日に結審しました。記者への取材中の性暴力と性暴力二次加害について闘った、日本にありがちな家父制社会の古い価値観やレイプ神話についての司法判断を問う裁判です。原告記者が裁判により回復していく過程に注目しました。
郡司真子 2022.02.09
誰でも
長崎市資料写真
長崎市資料写真

【注意】性暴力事件を扱った表現があり、性暴力被害経験のある方は、フラッシュバックの可能性がありますので、ご無理のない範囲で読んで下さい。

私がこの裁判についてニュースレターを書く理由

1990年代の前半、私は長崎文化放送(ncc)というテレビ朝日系列の放送局のアナウンサー兼記者として働いた時期に取材中、権力ある幹部公務員によりハルシオンを飲み物に混入され、性暴力に遭いました。しかし、30年近くもの長い間、加害があったことを告白できずにいました。2019年10月、フリースクールで子どもたちが性暴力被害に遭っている問題をフラワーデモ東京で話した際、多くの性暴力被害者の方々が性暴力被害を告白する姿に勇気づけられ、ようやく、私自身が被害者であることを自覚し、加害の事実を話しても良いのだと気づきました。新聞労連からの依頼で、この裁判の第5回口頭弁論(2020年3月9日)の応援のために行われたフラワーデモ長崎(2020年3月8日)で、私も長崎で取材中に性暴力に遭ったことをスピーチし、これ以上性暴力も二次加害も起きない、被害者に優しい社会に変わることを求めました。原告からの配慮で裁判を傍聴し、この裁判は、現在、「声があげられないまま泣き寝入りしたサバイバー」や「救済されていない性暴力被害者」「被害者であることが自覚できないまま苦しみ続ける人」にとって、生きる望みになると考えました。大筋の流れは、新聞やテレビなどで報道されるので、私は、ひとりの性暴力被害者でもあり、ジャーナリストでもある立場から、この性暴力事件とその後の経緯や、裁判が日本に社会に問いかけるもの、原告の勇気ある声を伝えていきます。

もう一つ大切なこととして、私が取材現場での性暴力問題について、こだわって伝えているのは、自身が被害者であることに気付かないまま、傷つき体験を重ねてしまう女性記者たちに、もう、自傷的に仕事したり、オールドボーイズクラブに過剰適応したり、恋愛だと思い込んで都合の良く搾取されたりしないで、自分を大切にして欲しいからです。

私が受けた性暴力については、2020年フラワーデモ長崎で話したものを取材した新聞記者が文字起こししてくださったのでnoteに記載しました。

長崎地方裁判所 2020年3月8日 郡司真子撮影
長崎地方裁判所 2020年3月8日 郡司真子撮影

裁判について

長崎市幹部(故人)から取材中に性暴力を受けたとして、現役の女性記者が2019年、長崎市(田上富久市長)を相手取り、市HPや広報誌への謝罪文掲載と損害賠償を求めて、長崎地裁に提訴しました。

訴状等によると、記者は長崎平和祈念式典(8月9日)の取材中だった2007年7月、市原爆被爆対策部長(当時)から性暴力を振るわれました。その後、記者はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され休職せざるを得なくなりました。加害部長は市の調査開始後に自死。ほぼ同時期、別の市幹部(加害者の友人)による二次被害にも苦しめられ、病状が悪化し入退院を繰り返しました。

2008年、記者は長崎市に事件をきちんと調べるよう求め、第三者委員会を設置するよう要求したが、市は「予算を伴う」として年度途中の計上に難色を示しました。そこで記者は2009年、日本弁護士連合会(日弁連)に人権救済の申立てました。日弁連は事件を受け付け、調査は約5年に及びました。

2014年、日弁連は調査結果をまとめ、①市部長が情報や取材機会の提供等に関する職務上の優越的地位を濫用して申立人(=記者)に人権侵害をした、②市関係者言動により、申立人(=記者)が好奇の目にさらされ、あたかも被害者に非があるかのような事実に反する風説が内外に流され、更なる精神的苦痛を強いられた―と認定しました。日弁連は市に対し、謝罪と再発防止策を求める勧告措置を出しました。しかし市はこの受け入れを拒否しました。

新聞労連は19年3月、被害者の早期救済を求め、記者の代理人と共に田上市長と交渉しました。市は、事実関係を一定程度認めつつも、まず被害者が請求権を放棄しなければ性暴力を振るったことも認めないし謝罪もしないという姿勢を続けました。

記者は2019年4月、長崎市を提訴。いったん仕事に復帰したものの、現在は休職中です。

提訴後の問題

2019年7月、長崎市議会で「被害者はどっちだ」と、原告を中傷するヤジが飛びました。これについては、原告弁護団と新聞労連が2019年11月、市議会議長に抗議をし、発言者の特定と謝罪を求め、女性組合員らが市役所と市議会を訪ね、ヤジ撤回と被害者への謝罪・早期救済を求める要望書を市長と議長あてに提出しました。しかし市議会は「発言者は特定できない」と回答。市議会では、2021年6月に「長崎に性暴力はない」という趣旨の声が議場で上がりました。

裁判の争点

1、性暴力が認められるか

2、性暴力の職権濫用が認められるか(情報提供者の市行政トップが、記者の取

材機会を利用して暴力をふるい、取材・報道の自由を侵害した)

3、市は二次被害を防止すべき責任があったと認められるか

4、市の「一貫して誠実に事案に当たった」という主張を退けることができるか

例;市は「お詫び文」を出したことで「黙示の和解が成立した」と主張して

いる。原告や原告所属社から「この文書で了とする連絡があった」としているが、

その連絡が誰からどのような手段できたのか、記憶も記録もない。

年表

2007年 7月 長崎市内で事件発生

2007年 8月 記者が所属社に相談

2007年 10月30日 田上市長が加害者を直接聴取

2007年 11月1日 加害部長が自死 全国報道

2007年 12月25日 長崎市が記者と記者の所属社に対して「お詫び文」

2008年 8月 記者が市に調査や第三者委員会設置を要求

2008年 10月 市が調査や委員会設置を拒否

2009年 3月 記者が日弁連に人権救済申立(調査に5年)

2014年 2月5日 日弁連が調査結果をまとめる 長崎市に勧告

2015年 12月 記者に労災認定

2017年 8月 市が日弁連勧告を「受け入れない」と文書で回答

2018年 3月 市が日弁連勧告を「拒否」と再び回答

2019年 3月 記者の代理人弁護士と新聞労連が長崎を訪れて市長と交渉。市は記者がまず請求権を放棄しなければ、性暴力を振るったことを認めないし謝罪もしないと対応

2019年 4月25日 記者が長崎市を提訴(長崎地裁)

2019年 6月18日 第1回弁論

2019年 8月19日 第2回弁論

2019年 11月18日 第3回弁論

2020年1月7日 第4回弁論

2020年 3月9日 第5回弁論 

2020年 3月23日 弁論準備手続き(この頃新型コロナが感染拡大)

2020年 5月18日 責任転嫁の話をした元市幹部の証人尋問

2020年 7月20日 弁論準備手続き

2020年 9月15日 弁論準備手続き

2020年 11月27日 弁論準備手続き

2021年 2月15日 弁論準備手続き

2021年 4月12日 弁論準備手続き

2021年 5月18日 弁論準備手続き

2021年 7月19日 弁論準備手続き

2021年 9月6日 弁論準備手続き

2021年 10月4日 証人尋問(被告側3名)

2021年 10月18日 証人尋問(原告側3名)

2022年2月7日 最終準備書面提出(結審)

2022年5月30日 判決(予定)

メディア労組が全面的に原告を応援した背景

マスコミセクハラ白書 WiMNメディアで働く女性ネットワーク
マスコミセクハラ白書 WiMNメディアで働く女性ネットワーク
日本マスコミ文化情報労組会議のアンケート調査では、メディアで働く女性のうち74%がセクシュアルハラスメントの被害や性暴力にあったと回答しています。執筆したのは「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)の会員から約30名。2018年に大きな衝撃を与えたテレビ朝日の女性記者に対する財務省幹部のセクシュアルハラスメント事件を契機に結成されたWiMNには、新聞・通信、放送、出版、ネットメディアなどで活動する(フリーランス含む)女性が100人以上参加しています。本書は、メンバー同士がお互いにインタビューしあう形で執筆されました。仮名であっても、告発することで記憶が蘇ります。どうしても話せなくなったり、「やっぱり降りたい」という人も。しかし、沈黙が新たなセクハラ事件を生むのだ、という強い思いで立ち上がったのです。

2018年の財務省幹部によるセクシュアルハラスメントへの抗議から、「もう黙らない」という女性記者たちが立ち上がりました。同時に時代は、Metoo運動、フラワーデモが全国に広がる大きな波が起きました。

新聞、出版、放送の現場で、大量の女性が同様の性暴力に遭い、心身に後遺症を負って、退職を余儀なくされることが続いています。二次加害も深刻で、加害者側は、性暴力ではなく男女のプライベートな問題であり、被害に遭う方が悪いと揶揄されることがほとんどです。

新聞労連 吉永磨美中央執行委員長の言葉を以下に引用します。

原告への性暴力の加害行為が、プライベートな関わり の中で起きた、と結論付けられますと、原告への重大な人権侵害のみならず、記者という職 業やジャーナリズム活動を否定されることになります。また、それは「強姦神話」と表裏一 体のものと考えられます。また、女性への蔑視の発想が根底にあると言わざるを得ません。 またアンケートでも明るみになっている、公的機関などの取材中に性被害に遭った組合員 や仲間達の訴えへの否定につながりかねません。この事件の新聞・通信社にかかわらず、メ ディア全体への影響は多大です。新聞労連は、「報道の自由」「表現の自由」「知る権利」を 堅持する立場として、この事件が取材者と権力との構造的格差・支配関係から生じる女性に 対する差別であり、多くの女性記者が受けているセクハラ被害の延長にある事件であると 考え、原告である当該組合員とともに、救済を求めて解決に向けて活動していきます。

結審後の支援者集会 2020年2月7日 長崎市にて

原告弁護団支援者集会2022年2月7日 Zoom参加画面
原告弁護団支援者集会2022年2月7日 Zoom参加画面

2022年2月7日夕方最終弁論後、長崎市で原告弁護団の報告集会が開かれました。コロナ蔓延防止対策のため、私はZoomで参加しました。報告集会の会場からは、性暴力の発生から15年にわたる闘いをねぎらう支援者の熱気が伝わってきました。最終弁論で行われた原告本人による意見陳述が素晴らしかったと、原告の回復ぶりを喜ぶ支援者の発言が続きました。

弁護団が紹介した裁判の争点は以下の4つです。

1、性暴力が認められるか

2、性暴力の職権濫用が認められるか

(市行政の幹部が、記者の取材機会を利用して暴力をふるい、取材・報道の自由を侵害したという観点から)

3、市は二次被害を防止すべき責任があったと認められるか

4、市の「一貫して誠実に事案に当たってきた」という主張を退けることができるか (市は「お詫び文」を出したことで「黙示の和解が成立した」とし、原告や原告所属社から「この文書で了とする連絡があった」とも主張しているが、その連絡が誰からどのような手段できたのか、記憶も記録もない)

*****

私が2020年3月9日に行われた第5回口頭弁論の応援のためのフラワーデモに参加した際、原告はまだPTSDの症状が重く、代理人のみが出席し、メッセージも代読されていました。裁判が進むにつれ、新聞労連や支援者、弁護団の支えもあり、原告は徐々に回復し、本人尋問に続き、最終弁論で意見陳述を自身の口で話すことができるまでに回復していったそうです。

代理人弁護士が集会で、「強い被害者」へと回復できるのだと話していたのが印象的でした。

私は2年間この裁判に寄り添ってきて、原告記者の回復していく姿に勇気づけられました。長崎に行けなかった苦しみも理解できます。私も取材現場で性暴力に遭ってから、30年近く、九州に近づくことさえもできませんでした。結審の日に原告記者が意見陳述をご自身でできたという回復への過程は、多くの性暴力被害者へのエールにもなると、感じました。

原告意見陳述 2022年2月7日

 (原文のまま引用しました)

私は意思ある人間だ

長崎市性暴力訴訟原告最終意見陳述 (2022年2月7日)

事件から15年目。私はようやく自分が失ったものを実感し、確かめられるようになりました。この文章を原告 最終意見陳述と致します。

1. 事件で変わったこと

A) 体調

B) 人間関係

C) 職能

2. 事件の破壊力 ~支えてくれるはずの人とも関係がこじれるようになった~

3. 自分を持ち直すきっかけ

4. 長崎市へ反論

5. 最後に

1

A) 事件でまず変わったのは体調です。眠れなくなり、誰のことも怖くて、いつまでも事件の光景や体験が思 い起こされ、恐怖感が続きました。体がこわばり、季節感は失せ、食事がとれなくなりました。

 周りは、私に大きなことがあったと感じ取っていました。全国報道や週刊誌で出たこともありますが、何より、 私が顔を隠すようになったからです。事件後の私は濃いサングラスをかけ、室内でも外さなかったため、友人 や支援者はたじろぎました。

 こうした症状が PTSD だと今はわかります。しかし、以前の私はこの病気を知らず、自分が性被害にあうと思 ったことがなかったので、自分はどうしてしまったのかと、もがきました。 「それまでの自分を捨てなくちゃ」と強く思いました。髪を切り、染め、服のテイストを変え、無表情になり、か つての自分を全部捨てようとしました。なぜそう思ったか当時はよくわからなかったのですが、今思えば、加害 者に自分がどう思われたか、勝手に性的対象にされたかと思うと屈辱で、「そう思われたかもしれない要素」 をそぎ落とすことに必死になったのです。そうやって、あれもこれも捨て、転居も繰り返しながら、私は事件の後を過ごしました。  

B) 人間関係にもひびが入りました。多くの人は私と距離を置くようになったのです。うちの会社には同期入社 の女性が4人いたはずですが、ショックを受け、みな退職しました。長崎で共に働いた報道関係者とはほぼ全 員疎遠になりました。私が電話をかけても出なかったり、待ち合わせ場所に来なかったり、電話が通じても世 間話だけで切る人もいました。

C) 職能も失いました。私は採用試験や適性検査をパスして外勤記者をしていましたから、評価された私の 持ち味は人に接する態度や好奇心だったはずです。なのに、人と会うのが怖い、人を信じられない状態になる と、誰が私を使ってくれるでしょう。加えて、中高年男性が怖い、背広もネクタイも怖いとなれば、記者の道は閉ざされたも同然です。報道界では外勤をこなすことで経験を積んだとみなされます。その先に特派員やデ スクの座があります。キャリア形成は望めません。

 2

 支えてくれるはずの人とも人間関係がこじれるようになりました。これも事件の破壊力だと指摘します。

 たとえばNさん。2010年に長崎に赴任した社の後輩です。市政取材に力を入れた彼は、「この事件を伝 聞で知っていた、市幹部たちが語り継いでいた」と証言しました。語られ方は、「いやーあの時は自分たちが大 変だったね」「部長級の仲間を自殺で失ったね」というもので、既に事件から3年ほど経っていたので、「市は 『終わった感』を漂わせていた」と証言しました。

 面会時の彼は恐縮して、「あの...僕はそういう出来事(事件でない)だと市から聞いてましたし、原告の車で 行ったとも聞いてましたので、『そう言われているけど本当ですか』と原告に確かめることは思いつかなかった...」 と小さくなりました。ばつが悪くなったのか N さんはその後、連絡を間遠にしていきました。

 このように市は、事件でないという見方を社会に根付かせ、07年以降の記者が疑問に思う道を塞いでい ました。一方の私は、事件から何年経っていても、私を助けたり又は知っていることを話してくれる人たちと、関係を紡ぐことが難しい局面に相変わらず立たされていました。

 ちなみにNさんは、長崎赴任中に原爆被爆対策部長(当時)の家に招かれ、酒や食事を提供され、仕事 の話をしたことがあると語りました。暴力をふるわれることなく、体調を崩すとか職能を失うこともなく、いま健康 です。「市部長と会ったのはプライベートか仕事か」と詰問される目にもあっていません。

3

 「ここまでやったら落ち着こう」と決めていたのは2014年の日弁連の判断です。市に人権侵害是正の勧 告が出てホッとした私は、その後、法律事務所に預けていたものを受け取りに行きました。証拠調べのため提出していた事件当日の私の着衣一式です。風呂敷包を持ち帰り、家で開けると、衣服がきちんと折りたたま れていました。事件の日につけていた細いネックレスも、きちんと収まっていました。

 「傷つけられたあの日の私が帰ってきた」。息をのんだ私は長い間それを見つめ、胸に抱き、わんわん泣き ました。それは、自分を大事にすることができなくなっていた私に対し、法律事務所のどなたかが(弁護士かも しれないしスタッフかもしれない)、私を丁寧に扱ってくれた体験でした。事件から7年後のことです。第三者に 誠意をもって応対されたことに私は感動し、「誠意を示すとは態度なのだ」と学びました。返却された着衣は、 「もう一度ご自分を大切になさって生きられたらいいですよ」というメッセージにみえました。

 それが自分を持ち直すきっかけとなり、私は色々なことに挑戦していきました。朝起きるようにする。とにかく 外出してみる。近くの公園まで行ってみる。お風呂に入る。服を着替える。身だしなみに気を配る。食事を1 日1回はとる。新聞を読めなくても手に取る。夏は半袖を着る。満員電車の時間帯に駅に行ってみる。サラリ ーマンを眺める。車の運転席に座る。助手席に人を乗せる。処方薬の飲む量を減らす。カウンセリングの頻度 を減らす。犯罪被害の本を読んでもうちのめされすぎないところで手放す。声を出す。男性とすれ違っても過 度におどおどしない。男性が近くにきてもむやみに逃げない。サングラスを外す。

 このように挙げると、「なんだ、それ普通の生活だよね」と思われるかもしれません。しかし、普通の暮らしの 前提である命の源が傷つけられる、それが性暴力です。私は、命の土台を最初からつくるに似た作業を精神 科医とやり、それをひたすら繰り返しました。

 はじめは、オムライスをつくってはケチャップの味で吐き(味覚が麻痺していた)、スパゲティをつくってはゆでているうちに吐き気に負ける、ということが続きましたが、一人前をゆっくりのペースでいいから食べ切るという、 挑戦という名の基礎練習を繰り返すことで、私は、崩れたバランスを取り戻し、生活リズムをつくり、事件に向 き合える体力を培いました。

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 さて長崎市は私に対し、何か具体的行動をとったでしょうか。「誠意を示すとは態度だ」と学んだ私が、15 年を振り返ると、市は「真摯に対応」といいつつ何もしていません。市は被害者を見ず、突っ走り、それが正しいか顧みず、性暴力や職権濫用を正面から指摘されることをただただ先延ばししようと、じーっとしていたので す。

 特筆すべきは、市が大事なところで私の「黙示」を持ち出すことです。たとえば07年12月に市が詫び文を出した時。私が何も回答していないのに、「原告からこれで了と連絡があった」と内部文書をつくり、裁判でも それを主張します。また、先月の市の主張では、「事件の日、部長は原告と2人きりになり、もともと異性として 興味を持っていた原告に対し、同意していないのに原告が黙示で性行為に同意していると部長は勘違いし、 罪悪感なく強引に原告と関係を結んだ」としました。

 「また私の黙示を持ち出すの?!」と驚愕しました。性暴力の責任は加害者にあるはずです。当たり前のことを棚上げてして市は、「原告の黙示で了」とします。どれほど酷いことをしても、「黙示で原告に許された」と 片付ける強硬ぶりはまさに暴力です。長崎市にいいます。私は意思ある人間です。自分で考えきちんと意思 表明します。確認なく、「本人はそれでよかった」なんて嘯(うそぶ)かないで下さい。女性が意思を持ち、貫く ことを軽んじないで下さい。人の意思を無視し、ストーリーを作り替えるとは、市が性差別をしているのです。

 田上市長の証人尋問を振り返りましょう。記憶にないという旨の証言を何回したか、調書を確認したところ、 68回でした。市長の尋問は昨年10月4日10時36分から12時27分まで、111分間でした。その間、「記 憶にありません」「分かりません」「覚えていません」と68回吐いたわけです。1.6分に1回言った計算です。

 興味深かったのは、部長のセクハラが報じられそうだと知り、二次被害を防がねばと市長が考えた場面。 「まずその記事を止めないといけないという認識が強かったということですか」と聞かれ、市長は間髪入れず 「そうです」と答えました。どれほど止めたかったか。「分からない」とあれだけ繰り返しながら、自分や市を守る ために必要なことだけは明確に記憶し、そこだけ妙にクリアな市長の証言は、当時から今に至る市の受け止め 方を生々しく表現するものでした。その後、市は私の会社を攻撃していきました。

 長崎市の悲劇は、裁判を起こされ心痛める職員がいるはずなのに、市長らが責任を否定するので、このこ とが市庁舎内で口に上らないことです。触れてはならない雰囲気があるのでしょうが、大事なのはトップの姿勢 です。「こういうことはいけない、こう改める」と方針を打ち出さなければ、組織は機能しません。市庁舎がそうならば市民に伝わるはずがありません。

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 最後に。15年をむだにしたと私は思っていません。裁判は時間も労力もかかるし、性暴力を法廷に持ち込 むことはとくにハードルが高いです。でも、責任を取るべきは誰なのかを突き止め、責められなくてもいい人が責 められる構図を変えるため、私は訴訟を選びました。入念な準備をしました。証拠を揃え、保管し、自分の力 をこの訴訟で高め発揮するのだという意気込みで臨みました。記者が取材中に受けた暴力が個人的なことと歪曲されて被害者が中傷される、それが女性記者に起きやすいというこの深刻さを、私は、私の会社、報道 界に知ってほしいと思いました。とりわけ、私のかつての上司、かつての長崎支局社員、そして傷つけられたこ とのある報道関係者たちに、この闘いを見てもらいたいと思いました。

 課題は、裁判が被害者を傷つけやすいシステムだということでした。それを乗り越えるべく、私は、自分の体 力増強に励み、リサーチを欠かさず、戦闘意欲を高く保つためあらゆる努力をしました。私がしたいのは、被害 にあった人がその後も生きられる像を示すということです。傷つけられてあとは小さくなって生きるのではなく、 傷つけられた後も人生に充実を求め、命を守るためやむなく訴訟をしないのではなく、訴訟をしてなお人が総合的回復を目指せる、そのことを示したかったのです。

 そのためには、ここで長崎市の責任が認められることが大事です。記者への暴行や根拠なき中傷はあって はならないと明確に司法に示してもらいたいです。報道陣が脅かされた時、「ひどいことだ」と言えて、民主主 義を追求できる日本であってほしいのです。この訴えが記者の、とりわけ女性記者の安全を保障し、取材や報 道の自由が日本で保障・確立されますよう、よい内容の判決を期待致します。(以上) 

引用終わり

 mimosa資料映像 3月8日は「国際女性デー(International Women's Day)」 イタリアでは「ミモザの日」
 mimosa資料映像 3月8日は「国際女性デー(International Women's Day)」 イタリアでは「ミモザの日」

長崎市の意見陳述

(2022年2月13日加筆しました)

《原告は、平成 18 年(2006 年)に起きた県警幹部による女性記者への性暴力事件について知っていたから、自らセクハラを避けるべきであった、加害部長からセクハラ言動があった、原告への好意をよせる発言があったことを知っていたから、原告の“事件当日の適切な対応”次第では、本件事件を回避することができたはず》と、原告側の過失を主張し、相殺事由をのべて、慰謝料の減殺を求めています。

長崎市の主張要旨

1、以前から加害側の元幹部は原告のことを記者ではなく一人の女性(異性)として見ており、原告も元幹部のセクシュアルハラスメントに気が付いていた。原告が被害を回避するための適切な対応を取らなかった。

2、 事件当日、2人きりにならなければ事件は起きなかった。

3、元幹部は原告と2人きりになったことで、原告が性的誘いに応じた(黙示で合意している)と誤解し、強引に原告と性関係を結んだ。その点で多くの責任が元幹部にあることは確かだが、元部長にそう思わせた原告にも責任がある――など

4、原告の「過失」7項目を挙げ、過失相殺や慰謝料の減額を主張する。

******

以下に長崎市の主張を個人が特定される箇所をマスキングして全文引用します。

平成 31 年(ワ)第 114 号損害賠償等請求事件

準備書面(14)―2―原告側の過失相殺事由、慰謝料の減殺事情など―

1.はじめに

2.過失相殺事由、慰謝料の減額要素

(1)原告の過失を検討するための前提事実

本件事件以前から亡●●部長のセクハラ言動には、原告の心身(性)を危うくする危険性があったこと。

(2)過失相殺等―その 1―

亡●●部長の危険性に気が付いていながら原告は、取材優先の考え方から適切なセクハラ対応をとらなかったこと。

(3)過失相殺等―その 2―

原告の“事件当日の適切な対応”しだいでは、本件事件を回避することができたこと。

(4)過失相殺等―その 3―

亡●●が”原告も黙示的に同意している”と誤解していた可能性が否定できず、原告にもその資任があること。

(5)過失相殺等―その 4― 

被告市は原告及び所属社に正式に書面で謝罪し、その後原告らはこれを受け入れたが、その時の原告の当該対応が本件紛争の解決を遅らせたこと。 

(6)過失相殺等―その 5― 

本件事件から提訴までに、被告市が“原告の主張する事実(亡●●による同意なき性暴力・強姦行 為)”を認めることができなかった理由と、被告市と原告との間の紛争が異常に長引いた理由。そして、 この点に関する原告側の責任は大きいこと。 

被告市は、被告準備書面(9)の第 2 において、“損害賠償請求にかかる原告の過失相殺事由”と慰耐料の減殺事情(減殺要素)”(以下「本件争点」と言います。)の主張をしています。しかしこれらの争点は、本件事案の概要が十分に把握できないとその判断が容易ではありません。 

そこでここでは、既出の被告準備書面(14)―1 別紙「時系列的証拠整理表」(以下「証拠整理表」と いいます。)に基づいて、本件争点の裏付けとなる「事実の流れ(事案の概要)」を整理し、当該事実の 概要を前提に本件争点を検討することとします。 

1.はじめに 

(1)本件訴訟において、原告は被告市に対し、(1)職務行為・地位及び権限の濫用による「性暴力」、 (2)虚偽の風説の流布、(3)被害の拡大・定着を防止すべき義務違反を主張しています。そして、これ らの請求が認められるかどうかは、“原告の主張する「同意なき性暴力」が認められるかどうか”また “それがどういう性暴力であったのか”ということにかかっています。 

原告のいう「同意なき性暴力」とは、いわゆる「強姦行為(強制的性交)」というものであり、そしてそ れは、原爆被爆対策部長(本件事件当時は「企画部長」)であった亡●●(以下「亡●●▼▼部長」 又は「亡●●部長」といいます。)が生前に主張していた「男女関係」(双方の同意に基づいた男と女の関係)と対極を為なしています。しかし、「同意なき性暴力」には、本来、その行為態様によって悪質性 の程度、違法性の程度に自ずと違いがあるはずです。仮に、「同意なき性暴力」が事実として認定され たとしても、それは“極めて悪質かつ犯罪的な「強姦行為」“から、“加害者が被害者の同意を誤解した 「過失犯的な同意なき性暴力」”まで様々な行為態様が考えられます。そして、その行為態様によって、 過失相殺による「減殺要素」、慰謝料の「減殺要素」に相違が生じてくることになります。 

(2)それだけではなく、“時間的経緯にかかる事実の流れ”(「事案の概要」)にかんがみると、被告市は、 当時、「亡●●部長が同意なき性暴力(強姦行為)を行ったとは認識していない(認識できていない)」 のですから、原告の主張する②虚偽の風説を流布したということは通常考えられないといえます。ま た、その当時の情況(証拠関係)からしても、亡●●部長、◆◆会計管理者(以下「◆◆会計管理者」 という。)等が「虚偽の風説」を流布したとまではいえません。さらに言えば、当時の被告市が、それまでに提示された証拠関係(証拠整理表③欄)から、原告のいう「核心的な事実」(強姦行為・強制性交) を確信的に認識することは困難であり、そうであるならば、(3)被害の拡大・定着(二次被害)を防止す べき義謗違反も成り立ち得ないということになります。少なくとも、原告のいう性暴力(強姦行為)を 前提にしたニ次被害ということは考えられなくなるはずです。 

(3)もっとも、(1)職務行為・地位及び権限の濫用による「同意なき性暴力(強姦行為)」としての責任論については、仮に、本件訴訟で提出された新しい証拠関係(証拠整理表①欄)が加えられることによって亡●●部長に何らかの法的責任が認められ、そして、被告市も使用者責任あるいは国賠法上の責任を負わなければならない事態になったとしても、後述するような事実関係によって、過失相殺すべき事情の存在が否定できず、その損害賠償額全体や慰謝料額が大きく減殺されることになります。 

(4)いずれにしても、本件事案は、「性的関係に同意があったのか」、それとも「同意がなかったのか」 という「ニ項対立的」に捉えることは実態に合わないように思われます。すなわち、証拠整理表の客観 証拠や関係者の供述(主観的証拠)を吟味しても、本件事案が、原告のいう「強姦行為などの同意なき 性暴力(あからさまな性暴力)」とは思えませんし、またその―方で、亡●●部長のいう「同意に基づい た男女関係(互いの理解と同意に基づく性的関係)」とも考えられません。それでは、それがどういう事実関係だったのか。本件事案の概要を時間の流れに沿って見ていくと、“それが何だったのか”が理解 できると思われます。 

2.過失相殺事由、慰謝料の減額要素 

不法行為に基づく損害賠償額の算定においては、当事者間の公平を念頭におかなければならず、 “加害者の非難可能性ないし違法性の程度”とともに、“被害者側注意義務違反(過失)の有無及びそ の程度”をも考慮せざるをえません。そして本件事案でも、過失相殺の法理(民法 722 条 2 項)、慰謝 料減殺の法理が重要なものとならざるを得ず(以下、これらを合わせて「過失相殺等」といいます。)、 したがって、原告の損害額の認定又は算定の際には、①その“損害の発生や拡大”について、“原告側 に看過できない過失があったか否か”を検討せざるを得ません。また、②これらの法理(過失相殺、慰 謝料の減殺)を主張する場合には、加害者本人(亡●●部長)"の立場と、それとは異なる性質の使用者責任(国賠責任)を負担するという立場の“被告市”とでは別異に取り扱うべきであり、後者におい てはこれら法理が比較的適用されやすい(加害者本人亡●●部長から原告に対する過失相殺等の主 張が認められない場合であっても、被告市から原告に対する過失相殺等の主張は認めざるを得ない 場合が多くなるはず)という点も念頭に置く必要があります。

以上を前提に、以下のとおり、本件事案を検討することにいたします。 

(1)原告の過失を検討するための前提事実 

本件事件以前から亡●●部長のセクハラ言動には、原告の心身(性)を危うくする危険性があったこと。 

ア 原告が Z 社長崎支局動務になってからほどなく、取材や酒席で知り合った亡●●部長(当 時)からのセクシュアルハラスメント言動(以下「セクハラ言動」と略します。)が激しさを増していきま す(甲 95―6 頁、乙 43 の 3・1 頁)。原告を報道記者(業務の関係者)として見るのではなく、―人の 女性(異性)として見ていたことがうかがわれ、亡●●部長が原告の心身に対し極めて危険な存在に なっていったことがうかがわれるのです。すなわち、亡●●部長の原告に対する危険性は、いじめ・嫌 がらせ(いわゆる「ハラスメント」)の域を超えており、状況しだいでは、原告の心身(性)に危険性が及 ぶ可能性をも含んでいたのです。 

イ このことは、証拠整理表の証拠(乙 43 の 3・1 頁、甲 95・6 頁・12 頁・13 頁、甲 69 のメモに おける各メ―ル)を見ていただければ―目瞭然です。ここに見られる亡●●部長の言動は、「●●ちゃ んどうしたのですか?彼氏と別れたのですか?それなら彼氏に立候補しちゃう。」「●●~今度の土曜、 平和宣言文起草委員会の後うちでどう?かみさん旅行でいないしさ。」「質問です。最近キレイになり すぎですが?」などというもので、“被告市幹部としての社会常識を疑われる、絶対にやってはいけな いセクハラ言動”といえます。 

しかも、亡●●部長の上記セクハラ言動は、明らかに原告を女性(性的対象)として見ており、原告 の気持ち次第では男女関係に陥ることも容易に想像されるものであって、亡●●部長に何の恋愛感 情ももたない原告にとっては、極めて危険な言動が統いていたといえます。 

ウ そして、そのことが分かっていた原告は、平静でいられず、▲▲室長(以下「▲▲室 長」といいます。)に相談し、同氏から「飲み会の誘いは―切断るよう」促され(甲 95,14 頁)、また、原告の友人である O(当時被告市財政課。以下「友人 O さん」といいます。)からも、「よく注意するよう に、ニ人きりにならないように」と忠告されています(乙 3・4 枚目)。つまり、このころ既に、原告は、 「亡●●部長のセクハラ言動が、慎重な行動をとらなければ自らの身に危険を及ぼすことがあり得る ことを十分に認識していた」ということができます(この点について原告は、平成 19 年 5 月 23 日付 の亡●●部長からのメ―ル(甲 69②の亡部長メ―ル)について、「性的誘いをかけている」とまで自ら 表現しておられます。)。 

工 以上のような亡●●部長と原告との間の危うい関係・危うい事情については、仮に被告市に損害責任が認められる場合には、その賠償額の算定段階において、“原告の過失を考慮するか否か”、 “過失を考慮するとすればどの程度考慮するべきなのか”等に関し極めて重要な間接事実ということ になります。つまり、亡●●部長の加害行為により原告に損害が発生したとしても、その損害発生は原告において容易に回避することができた等という判断の前提ともなり得るものなのです。そして、その結果回避が容易であればあるほど原告の過失割合は高くなり、その責を原告が負担することにな るのは当然の事理ということになります。

(2)過失相殺等―その 1― 

亡●●部長の危険性に気が付いていながら原告は、取材優先の考え方から適切なセクハラ対応をとらなかったこと。 

原告は、亡●●部長のセクハラ言動が原告自らの心身に危険を及ぼす可能性があることに気が付いていながら、亡●●部長のセクハラ言動に適切な行動や対処をとることがありませんでした。しかしこの段階で、原告が亡●●部長のセクハラ言動に適切な対応をとっていれば、後述するとおり、本件事件は起こらなかったはずです(原告の過失①)。 

ア 確かに、原告は、所属社 Z 社の報道記者教育を受けた優秀な記者だったようです。所属社が推進する「報道取材の基本は人間関係の構築」という考え方から、亡●●部長のみではなく、被告市の田上市長、▲▲管理者、◆◆室長などにも深く食い込んで人間関係をつくり上げ、時には特ダネを つかむこともあったようです(甲 95。8~11 頁、甲 83、甲 84、甲 85、甲 86)。 

イ 上記の報道記者としての原告の優秀さは、被告市内部に良質な取材源(被告市内部の高度な情報が得られる情報源)をもっていたことに由来するといっても過言ではありません。その中でも、被告は市の原爆被爆対策事業を総括していた亡●●部長の存在は、原告にとって極めて良質な取材源 だったに違いありません。原告は、被告市の原対部長(その後企画部長)という肩書をもつ“亡●●“と いう良質な取材源を喪失することをおそれて、(亡●●部長に対し)そのセクハラ言動に対する“抗議" を行ってはいたものの(甲 95・14 頁、甲 69⑥⑦、乙 43 の 3・1 頁)、根本的に亡●●部長のセクハ ラ言動を止めさせる適切な対処(例えば、後述するエような対応)を行ってはいなかったのです。 

ウ 原告の報道記者としての取材姿勢を見る限り、それは極めて積極的であり(もちろん、そのこと は何の非難にも値しませんが…)、“前のめりにすぎる”ところもあったようです(報道取材という目的 のためには少々のリスクは厭わないという原告の姿勢は、原告の陳述書(甲 95)のいたるところに散見されます。)。そのために、取材等という理由で又は取材に資するという理由で、亡●●部長からの 呼出しがかかれば、その時間帯が夜遅いか否かにかかわらず、また、それが酒席であるか否かにかか わらず、その呼出しに応ずることがあったようです。この点について、友人 O さんは、「メ―ルだけで なく、部長からはよく呼び出しされていたようでした。私自身は彼女(原告)との食事は数えるほどし かありませんが、私に会っていた時は、ほとんど部長からの連絡(メ―ルや電話)があっていました。今 年の 6 月頃だったか、彼女と食事をして、そろそろ帰ろうとした 23 時ころだったと思います、部長か ら彼女に電話があって、彼女が「今から行ってくる」というので、「こんな遅くから会うの?」と聞くと、 「部長が『県政に行くのだろう、県の幹部と知り合いになりたくないのか』と言うから。30 分くらいで すぐ家に帰るから大丈夫。」と言っていたのを覚えています。」と供述しています(乙 3・4 枚目)。 

工 しかし、原告の所属社 Z 社の報道記者教育における取材の基本的な考え方(取材対象者との人 間関係を大切にすること)は、なにも、“取材対象者からセクハラを受けてまでもそれを実行せよ”、“取材のためならセクハラも我慢せよ”等というものであったはずがありません。原告は、亡●●部長のセ クハラ言動について所属社 Z 社に報告して何らかの対応策を検討すべきであったはずです。それにも かかわらず、原告はそれをしておられません。特に原告は、平成 18 年(2006 年)に起きた県警幹部 による女性記者セクハラ事件を認識しておられましたから、尚更にそうすべきであった、ということが できます。また、所属社 Z 社に相談した上で(又は、原告単独の判断で)、被告市の人事課等に対して 通報(通告)する等の対処(被告市の亡●●部長に対する適切な対処・対応の促し)を行うべきであったともいえます。しかし原告は、それもしておられません。 

オ また、その当時のことで言えば、平成 19 年 4 月に施行された男女機会均等法の改正によって 事業者のセクハラ防止義務が定められ、所属社 Z 社にしても又被告市にしても、職員の性的な発言・ 性的な行動及びその職員被害について、事業者としてその防止を推進しなければならなかったはずが、 原告が適切な対処をしなかったことにより、亡●●部長に対する処分や指導・注意がなされないまま となってしまいました。特に、社会問題を掘り下げ世の裏側に潜む不合理を日の当たる場所にひきずり出すべき報道記者の本分として、原告には、被告市の要職にある亡●●部長から受け続けていたセクハラ言動を世に問う(少なくとも、亡●●部長の女性に対する悪質なセクハラを絶対に止めさせる)、 という使命があったともいえます。上記の県警幹部による女性記者セクハラ事件を認識していた報道記者の原告とすれば、それは当然のことだったのではないでしょうか。 

原告がこれらのことを自覚して適切な対応をとっていれば、亡●●部長の原告に対する本件セ クハラ事件(又は性的暴行事件)は、容易に回避できたはずです。また、原告の業務の妨げとなる亡●●部長は、被告市から何らかの処分を受け、原対部長から異動させられた可能性もあったはずであり、 結果的に原告の取材活動には支障はなかったと思われます(もっとも、被告市の人間関係に深く食い込み、原告が他社の記者を抜き去る取材を目指していたとすれば、このことは大きな情報源の喪失となり、大きな痛手になった可能性はあったと思われますが…)。 

(3)過失相殺等―その 2― 

原告の“事件当日の適切な対応”しだいでは、本件事件を回避することができたこと。 いずれにしても、次のア、イ、ウの事実がなければ(原告が亡●●部長の“危険な誘い“に応じていな ければ)、平成 19 年 7 月●日夜から 7 月●日の未明にかけての本件事件はなかったはずです(本件 事件は回避されていたはずです)。 

ア 当日(7 月●日)夜 22 時過ぎの遅い時間帯に、“もともと原告に女性としての興味を示してお り、しかも、飲酒して酔っている”亡●●部長の強引な呼出しに応じて、自車で住吉町まで赴かなけれ 原告の過失②ば、本件事件が起こることはなかったはずです。 

(ア) 当日の取材の目的、時間帯からして、果たして原告は、当該取材目的のために亡●●部長に 会いに住吉町まで自車で赴く必要性があったのでしようか(甚だ疑問があります)。前述のとおり、亡●●部長が原告にとって危険な人物になってしまっていることは原告も十分に自覚していたはずで すし、しかも、原告は、亡●●が酒食により酔っていたことも認識しておられました(甲 95・22 頁)。 そこに赴けば、ますます危ない状況に陥ることが予測されたはずです。しかも取材の目的といえば、 「長崎平和式典に際して、参議院議長のインタビューの予定がなければ官邸サイドとかけ合ってインタ ビューの機会を設定してもらいたい」との“取材の申し入れ”というのですから(訴状 5 頁、甲 95・21 ~22 頁)、リスクを冒してまで夜の遅い時間帯に直接会いに行く必要はなかったはずです。被告市も、 原告ら報道記者の仕事が夜討ち朝駆けの仕事もあり、取材の時間帯にこだわるわけにはいかない場 面があることは承知していますが、本件事件に際しての取材目的からすれば、(本件の時のように) 「遅い時間帯に直接会うこと」など到底その必要性はなく、電話で済ますことができる内容(少なくと も、翌日以降の取材を約束すれば済む内容)であり、原告の主張する所属社からの「社命」もそのよう な前提だったのではないでしようか。

(イ) しかも、原告が亡●●部長に取材をお願いするために電話を架けると、亡●●部長は原告に 対し、「なぜ、分かったんだ、ちょうどお前のことを考えていたんだ。」「いまから会おう、どこにいる」 「(原告が『事件関係の夜回りをしなければならない』というと)そんなのやめとけよ。お前が行ったら 何されるか分からんぞ」(女性記者が警察幹部から夜回り中に性暴力を受けたことが問題になってい た)などと主張しておられます(訴状 5 頁)。亡●●部長と原告とのやり取りからしても、亡●●部長の 目的が“原告の取材に応ずる”というものでなかったこと(危ない誘いであったこと)を、原告は容易に 理解できたはずです。 

イ 原告に対し報道記者としてよりも女性としての興味をもち、それこそメールで「性的誘い」(原告 の表現)をかけている亡●●部長を、自車に乗せて狭い空間に二人だけになっていますが、このよう 原告の過失③なこと(自車に乗せること)をしなければ本件事件が起こることはなかったはずです。 

(ア) この点について原告は、審理の最終段階にいたり、その陳述書において、「私は助手席の窓を 開けるボタンを押すつもりが、間違って運転席から 4 ドアの全扉解除ボタンを押しました。部長は断りなく車に乗り込んできました。」(甲 95・23 頁)といっておられますが、本件事件後そこまでに、その ような具体的な説明は全くなされていませんでした。Z 社作成の平成 19 年 11 月 8 日付報告書(乙 9 の 2。以下「Z 社報告書」といいます。)にも、原告代理人(康由美弁護士、有村とく子弁護士)作成の 平成 19 年 12 月 8 日付「事件前後の経緯」(甲 5 の 1。以下「原告代理人康弁護士らの報告書」とい います。)にも、このような具体的な状況は全く記載されていません。 

(イ) むしろ、当時の関係証拠である Z 社報告書では、「車内で男性が「何か食べたいか」と聞いた ため、「冷たいものでも飲めれば」と答えたところ、男性が「じゃ、まずそこを直進して」などと指示。女 性は行き先を告げられないまま男性の道案内で車を運転した。」(乙 9 の 2・1 頁)とされていますし、 また、原告代理人康弁護士らの報告書では、「午後 10 時 40 分ころ部長を住吉あたりで見つけて、 ●●の車に乗せる。部長「どこに行きたい。何か食べるか」、●●「タ食はとっていないけど空腹ではな いので、いらない。運転しているから酒もいらない。何か少し飲めば。そうしたらすぐ帰る。部長「じゃ、 まずそこを直進して」。部長が迷わず道案内を始める。20 分ほどの車内で部長は饒舌だった。」(甲 5 の 1・2 頁)とされています。つまり、亡●●部長が原告の自動車に無理やり乗り込んできた、などとい う状況ではなったのではないでしようか。 

ウ 原告は、自車を運転して亡●●に言われるままに、それを拒むことができずにホテルに入り、ホ テルの一室で二人きりになっていますが、それがなければ(亡●●の求めを拒否してホテルに入らな 原告の過失④いか、ホテルから逃げていれば)本件事件が起こることはなかったといえます。 

(ア) この点について原告は、「原告に指示して大通りからそれて細い道を運転させて数件並んだ ホテルの一つに入るよう指示した。原告がスピードをあげると、●●部長はハンドルに手をかけて操作し、車体を揺らして威圧し、「お前疲れているんだろう」「休むだけだ」と言って敷地に入らせた。」と 主張し(訴状 6 頁)、そして、それに沿った供述もしておられます(甲 95・25 頁)。 

(イ) しかし、その―方で、Z 社報告書では「午後 11 時 10 分ごろ、気づくとホテルが数件並ぶ山道 を走っていた。男性が「好きなところに入れ」と指示。女性は断ったが、男性から「疲れているんだろう。休むだけだ」と言われ、女性も実際に疲れ、長時間のドライブに自信がなかったこともあり、休むだけ であることを念押ししたうえで、ホテルに入った。」とされており(乙 9 の 2・1 頁)、また、原告代理人 康弁護士らの報告書でも「ホテルが数軒並ぶ道に入った。部長が「好きなところに入れよ」と言い出し、 ●●は抵抗するが、「今日も疲れているんだろ。少し休んだらいい。休むだけ」と言われ、「本当に休む だけですよ」と確認した上でホテルに入る。」とされています(甲 5 の 1・3 頁) 

(ウ) そしてさらに、原告と□□秘書課長(以下「□□課長」といいます。)との電話での会話を録音 しそれを反訳した甲 25 では、「〔●●〕私は、こに入れといわれて「冗談でしょう」とやり過ごしました。 嘘でしょといいました。信じて下ださい本当に。すんなり入ったわけじゃなくて。「でしよ、そんなこと できない」と言いました。そうしたら●●部長が「お前は疲れているんだろう」と言いました。正直言いますと私は 2 晩通夜でした。ちょうど大村の保険金殺人が警察で明るみに出た直後だった。4 年前の事件。夜中の記者会見にも出て、翌日もいろんな取材をしたあとに県警取材をしたから、私は、2 晩徹夜続きでした。だから長いドライプはしたくなかった。で、●●部長と会うことには私はその日、なって いなかった。ただ、●●部長に電話取材をしました。」「それは仕方がなかったんです。私は本当に疲れ ていて自分の運転に自信がなかった。目も開かない状態だった。ただ、私はお酒を飲んでいないし、●●部長と会ったのは、部長がそんなに会おう会おうと言ってくるのは何か話があるのかもしれない と思いました。もちろん 2 年間一緒に仕事してきましたから信頼していました。大事な人でした。だか ら、2 人になるのをずっと避けてましたけど、ちょうど企画部長に代わられる時でしたし、何か言いた いことがあるのかもしれないと思って、役所の中ではみんなおめでとうと言っているけど、原対部長 のお仕事嫌いじゃなかったみたいでしたから。」(6 頁)とされています。 

(エ) また、友人 O さんは、原告と話をした内容として、「彼女からは、「車を運転している間、ホテル に向かっているとは知らなかった。信じて欲しい」と言われました。「では、なぜ、ホテルについた時点 で、逃げたり、抵抗できなかったのか」と聞くと、「内示直後でもあったし、ニ人きりで話したいことが あるのだろうと思った。また、部屋に入るのを断ると、部長との関係が悪くなるかもしれないと一瞬考 えた。でも、部屋に入ってもこんなことになるとは思わなかった。信じて欲しい。」と。「でも静かな店と かで話せばいいことで、なにもホテルで話すことはないと思う。おかしいと思わなかった?きちんと断 れば、部長との関係は悪くなることはなかったと思う。」と言うと、「今、冷静になって考えると、そうだ と思う。でも、そのときは、内示直後であること、式典の直前であることから、話を聞かなければと思 った。」と話していました。」(乙 3・3 枚目)と供述しておられます。 

(オ)以上からすれば、原告は、「自車に亡●●を乗せてホテルに入ることを拒もうと思えば拒めた」、 「ホテルから逃げ出そうと思えば逃げ出せた」、そして、「それはいずれも比較的容易であった」といえ ます。むしろ原告は、そうすべきだったのではないでしょうか。 

工 以上のア、イ、ウについて原告は、亡●●の強要によってやむを得なかった旨の弁解をされてい ますが、その弁解のほとんどが“取材の必要性"(その背景には、重要な被告市幹部の取材源を失いた くないことがあったこと)を繰り返すものとなっています。しかしそこには何の合理性もないことは前 述のとおりであり、また、証拠整理表を見てもらえば明らかなとおり、原告の供述自体に無理な弁解 が散見され、信用性。措信性が認められない点も多いようです。

(4)過失相殺等―その 3― 

亡●●が“原告も黙示的に同意している”と誤解していた可能性が否定できず、原告にもその責任 があること。 

確かに、証拠整理表をみても、原告の主張のとおり、原告が亡●●部長との性的関係を許容してい た(同意していた)"とは認められません。しかし、原告がこれまでも何度となく夜の時間帯の呼出に応 じて酒食等に同席してきたこと、(▲▲室長の供述によれば)東京出張から長崎市に帰る際に亡●● の車の後部座席に慣れた体で当然のごとく乗り込んでいたことなどに見られる“市幹部と取材記者と いう立場”を忘れた近すぎる距離感の関係に陥っていたこと、本件事件当日も夜遅い時間帯での呼出 に原告が応じたこと、原告車に乗せてくれたこと、原告自身は嫌々ながらであっても結果的にはホテ ルに一緒に入ったこと等から、亡●●部長は、その日の原告の言動を勘違いし、酔余による自制能力 の減退も手伝って、原告が性的関係に応じてくれている(黙示的に同意している)と誤解し、罪悪感も なく半ば強引に原告と関係を結んだということが考えられます。 

そして、“本件事件直後(翌日以降)の亡●●の悪びれない態度や言動”(“強姦行為という絶対に許されないことをしでかした”という意識を感じさせない態度や言動)、“亡●●に対し謝罪だけを求め ていた本件事件直後及び亡●●の自死直後の原告の言動”などからすれば、「原告が同意していない にもかかわらず、亡●●はそのことを自覚せず、黙示的に同意しているものと誤解して、原告に対し、 罪悪感もなく半ば強引な対応をとった」のではないかと考えられます。そしてそれは、多くの点に亡●●部長に責任があることは間違いありませんが、原告にもそれなりに貢任があるはずです(原告の過失⑤)。 

ア 例えば、本件事件の直後に▼▼支局の同期の友人(Y 氏)との間でメールのやり取りをしている こと(甲 95・29 頁、甲 34、甲 96)、夜中から未明にかけての時間帯であるにもかかわらず、原告が 中村室長に本件被害について電話で深刻な相談をしていること(甲 95・32~33 頁、乙 57、甲 5 の 1・4 頁)、それから数日間の間に何度かにわたり DV やセクハラに関する電話での行政相談を受けて いること(乙 1、乙 2)、所属社の上司に相談していること(甲 95・41~43 頁)、大阪の弁護士にも法 律相談を始めていること(甲 95・43~44 頁)、婦人科医院にも診療に赴いていること(甲 37 の 1、 甲 95・43 頁)、精神科クリニックでも診療を受け PTSD の診断を受けていること(乙 9 の 2・2 頁、 甲 5 の 3、甲 95・43 頁、甲 98 の 1)などの事実からしても、原告が亡●●部長の性的交渉の求めを受入れて同意していたとは到底考えられません(ただし、これらの証拠のほとんど(特に客観証拠) が、当時被告市に提示されておらず、本件訴訟になって初めて被告市が知ったものが多くあります。) 

イ しかしその一方で、亡●●部長の本件事件直後(翌日以降)の原告への対応は全く悪びれるところがありません。本件事件直後の 7 月 29 日に、亡●●部長から原告に宛てたメールは「毎日、猛暑 の中の取材、お疲れ様です。今日も激務の―日になりそうですね。持ち前の鋭い取材能力で頑張って 下さい。あらためて慰労会をやりましょう。」(甲 88、甲 69⑩)、「暑いでしょう。今日はリポート、遅く ならないようにネ 応援しています。」(甲 89、甲 69⑪)などとなっており、前日に強姦行為・性的暴力を働いた男性(故意のある加害者)からの被害者へのメールとは到底思えないのです。また、原告が 亡●●部長に架けた電話では、原告から責められて、「んー…俺もやっぱり不適切だったと思うし、申し訳ないとは思う。でも普通にしておけよ。あれは突発的というか、それはそれで理解しよう。あの場面でそういう感情を持っていれば、ああなってもやむを得ないことだ。」(甲 35)と言っていますが、 「不適切だったと思う…」という表現は、前日に強姦行為・性的暴力を働いた加害者のいう言葉とは思えません(「不適切」などという言葉で済まされることではないはずです。)。亡●●部長のメールや電話での言動には、まったく罪悪感がみられず、そればかりか、7 月 30 日には、「徹夜で 07 年 7 月 3O 日(月)を迎え、午前の田上市長による平和宣言骨子会見に出て、私は写真を取りました。●●部 長が市長の隣で平然と話していたからです(甲 90)。…・会見がそこで終了しました。私が部屋から出 る時、部長が近づいてきて、「その髪よく似合っている」と囁きました。」(甲 39・35 頁)とされ、また、 原爆忌の 8 月 9 日には、「ペンを食わえるな!! (写真あり。 この時刻は長崎市内ホテルで安倍晋三 首相と被爆者団体が懇談、長崎市が両者を引き合わせている最中である。亡部長は職務中。)」(甲 69⑫)などという“親しみを込めたメール”が発信されているのですから、上記アの情況との乖離に戸惑うばかりなのです。

ウ また、本件事件直後の原告の言動や、亡●●部長が自死した直後の原告の言動にも戸惑いを感じさせられます。つまり、原告は、本件事件直後又は亡●●部長が自死した直後において、関係者に訴 えていたことは、「亡●●に謝罪してほしかった」という一点のみのようなのです。原告は友人 O さん に対しては、「このことにも彼女(原告)はショックを受けていました。言も謝罪がなかったと。」「ただ、 決して同意のうえではないし、そのことを信じて欲しい。部長には一言謝ってほしい。」(乙 3・2 枚目) と言っておられ、刑事告訴等を促してもこれに応えようとはされていません。また、亡●●部長が自死 した直後の▷▷課長との会話では、「私は、部長とちゃんと話がしたかった。「自分が悪かった」と言っ てほしかった。」(甲 49。1~2 頁)、「私は、●●さんにとってほしかったのは、こんな形ではなかった。 正面からきちんと私に謝ってほしかっただけです。」(乙 6・9 枚目)などと述べておられます。 

工 以上のような相互に矛盾するとしか思えない事実関係を合理的に説明するためには、上記のと おり、本件事案において、原告が亡●●部長との関係を同意していたわけではないのに、「亡●●部長が原告も暗黙の裡にそれに同意している"と思い込み、半ば強引に関係を結んだ」と考えるしかな いのではないか、そして“それが最も真実に近いのではないか"ということなのです。しかしそれは、そ の多くの点に亡●●部長に責任があることは間違いありません。しかし、亡●●部長にそう思い込ま せてしまった原告にもそれなりに責任があるはずなのです。 

(5)過失相殺等―その 4― 

被告市は原告及び所属社に正式に書面で謝罪し、その後原告らはこれを受け入れたが、その時の原告の当該対応が本件紛争の解決を遅らせたこと。 

被告市は、平成 19 年 12 月 25 日、原告代理人と所属社 Z 社に対し、謝罪文を呈して亡●●部長 の原告に対する行為を謝罪しました(乙 18 の 1、3、4)。しかし、被告市は、その当時の資料(証拠)で は、亡●●部長が原告に対し強姦行為をした(性的暴行を加えた)との事実を認定できず、本件事件に ついての真偽が不明のままで謝罪をせざるを得ませんでした。 

これに対して原告は、不満はあるにしても、この被告市の謝罪で本件事件について終止符を打つと の対応を示してくれました。少なくとも、被告市はそのように受け取りましたし、そう受け取るような 情況だったといえます(甲 93 の被告市長から原告へ宛てた翌日のメールなどは、そのことをよく物 語っています。)。そして原告が、翌年 3 月に来崎し総務部長などに挨拶していることからも、原告が 終止符を打とうとしていることが見て取れます。もっとも原告は、その後(本件審理の最終段階で)、 被告市の受け止め方とは全く違うことを陳述書で供述するようになっていますが(甲 95・61~63 頁)、これが措信できる内容ではないことは、陳述書(乙 55)、陳述書(乙 56)を見てもらえ ば明らかです。 

また、所属社 Z 社からも、この紛争を終わらせる旨の連絡をもらい(Z 社人事部長から被告市人事課長に宛てた FAX 送信票(乙 20)も、Z 社が上記謝罪を受け入れたからこその表現になっていま す。)また、その後紛争が終わったとの証のごとく、当時の原告代理人も辞任されました。 しかし翌年 7 月になって、原告が新しい代理人弁護士を付して被告市との交渉を再開したのですか ら、被告市にとっては青天の霹靂だったのです。そして原告は、そこに至って、「同 12 月 25 日の謝罪 で被告市を許す気持ちはなかった」し、「そういうことも言った覚えもない」旨を述べるようになったの です。このような原告の態度の変遷が、その後の事態の混乱を招き、紛争の解決を長引かせることに なったことは明らかであり(紛争解決が長引いたのは、何も原告の病状だけが原因ではありません。)、

原告の過失⑥

原告の被害の拡大についての原告の過失というべきものだと考えています。 

(6)過失相殺等―その 5― 

本件事件から提訴までに、被告市が原告の主張する事実(亡●●による同意なき性暴力・強姦行 為)”を認めることができなかった理由と、被告市と原告との間の紛争が異常に長引いた理由。そして、 この点に関する原告側の資任は大きいこと。 

本件提訴までの間、被告市は、原告側から「本件事件が亡●●の強姦行為・性的暴行行為によるも のであること」を認めるよう求められ続けてきました。しかし、亡●●部長が本件事件発覚直後に「原告との間の関係は合意に基づくものである」旨の弁解を残して自死したこと、原告の自車に亡●●部長を同乗してホテルに入ったこと、原告への直接の事情聴取ができなかったこと、原告の主張を裏付 ける客観的証拠(または、それに近い動かせない状況証拠)が原告から提示されなかったこと等の事 情により、被告市が検証可能であった当時の書類等の証拠からだけでは「真偽不明」という判新をせ ざるを得ませんでした。 

しかしそれは、あくまでも「被告市が検証可能であった証拠」(証拠整理表③欄の提訴前の証拠)に 基づくものであり、証拠整理表①欄の提訴後の証拠については、当時原告が被告市に提示してくれな かったために、その段階で検証することはできませんでした。証拠整理表①欄はいずれも提訴後に原 告が裁判所に提出されたものであり、これらのうちの“平成 19 年 11 月の本件事件発覚時に存在し たもの"について原告が被告市に提示していてくれたら、その判断は当時のそれと変わったものにな った可能性もあります。 

証拠整理表③欄のみの証拠(提訴前の証拠)と、同③欄(提訴前の証拠)と同①欄(提訴後の証拠)を 合わせた全体の証拠とでは、その事実認定のための証拠の質と量が違い過ぎます。いまだに被告市 は、何故、原告がこれら(①欄)の証拠(当時被告市に提示可能であった証拠)を被告市に提示しなかっ たのか(提示してくれなかったのか)、その疑間を払しょくすることができません。原告にとって何の有 益性もなく、被告市を困惑させ、解決を長引かせるだけのことだったのはないか、と思っています。そ して、本件訴訟もその延長線上に存在し、そこでも証拠の出し渋りがみられます。 

すなわち、本件事件が発覚した当時に、原告が被告市に対し、被告市に提示可能な証拠を過不足な く提出してくれていたら、被告市の対応もこれまでと違ったものになっていた可能性があり、また、本 件紛争が早期に解決されていたかもしれません。本件紛争が長引いたために原告に生じた損害(拡大した損害)については、原告にも過失があると考えます(原告の過失⑦)。 

以上

長崎市 資料映像
長崎市 資料映像

長崎市の主張について

長崎市の主張について、私は、長崎市で取材現場で性暴力を受けた被害者でもあるジャーナリストとして、考えたことを書きます。

まず、長崎市の主張が、あまりにレイプ神話そのもので、読むのが辛く、読み込むのに数日を要しました。

まず、市側の主張は、あまりに卑怯です。同意ありなしの二項対立にできない根拠が明確ではありません。

市側は、争点である、セクハラ、性暴力であったかどうかについてを全面的に認めています。しかしながら、加害部長の行為を被害者である原告記者に、自らの意思で避けるべきであったと主張しています。

これは、被害者批判であり、国際的には危うい価値基準です。性暴力に遭うのは、被害者の不注意なのか?

市側は、加害者が十分に危ない人間だと認識していたのに、容易に加害できるような要職に配置したまま、何ら研修や指導をしていない。市側は、管理者責任を放棄しているのです。

男女機会均等法の改正による事業者のセクハラ防止義務は、市側にこそ、管理責任が問われてしかるべきものです。

また、深夜時の取材対象からの呼び出しは、通常、ほとんどの記者が応じているのが実情です。

被害者が自らの車の運転で加害場所に行かされたことについて、私も同じような経験があります。自身が運転する車によって、性暴力に遭った場所に誘導されました。その時の感覚は、フリーズでした。加害者により強制的に誘導されてしまうのです。

国際的にこういったフリーズの現象は、分析されています。

生命の危機を感じたとき、特に暴力被害などを受けたときには、迎合反応が起きることがあります。迎合とは、加害者からさらなる加害行為を受けないようにするために、加害者の要求に応え、加害者の意に沿うような行動や発言をすることです」(花丘ちぐさ・文『なぜ私は凍りついたのか』春秋社、P55)

市側の主張は、セクハラ、性暴力をする加害部長の失態を認めながらも、女性記者は、それを避けるべく対策すべきであり、被害を受けた原告記者に落ち度があるというものです。

あまりにホモソーシャル、ミソジニー、オールドボーイズクラブ、自己責任論の理屈ではないでしょうか。

国際平和都市であるはずの長崎市でさえ、この次元の低いミソジニーな主張をすることに、恐怖を感じました。

終わりに

私は、この裁判にひとりの性暴力被害者でもあるジャーナリストとして、寄り添って伝えてきました。それは、原告と原告を支える人たちの取り組みが、私にとっての希望であり、多くのサバイバーの回復へのエネルギーに繋がると考えたからです。

権力ある立場の公務員から取材中に女性記者への性暴力は、明るみに出ていない事案も含めて、大量に存在します。全国的にも事件化されず、ほとんど救済されず、記者という職業を追われた女性が大勢います。私もその1人です。

30年以上にわたり、女性記者が取材現場で性暴力被害に遭い職場を追われる事案が続いています。性暴力そのものの加害性に加え、「被害者批判」(ヴィクティムブレーミング)と長年それに向き合わず、抱きつき取材の踏み絵を踏ませ続ける報道機関の責任も報道に携わる方々に考えていただきたいのです。また、報道現場で起きる性暴力を記者の自己責任として切り捨ててきた報道機関の態度こそが、性暴力二次加害です。

「被害者批判」(ヴィクティムブレーミング)それでも被害者を追いつめる脳の抑え方 さかいとしゆきさん

「賭け麻雀」とセクハラはコインの裏表 「抱きつき取材」ありきの弊害とは ジャーナリスト・林美子記者(東京新聞への寄稿)

報道現場の性暴力と「二次加害」について~長崎性暴力裁判に寄せて~ 

牧内麻衣さん(元朝日新聞記者)

《私は、「 過酷な事件が起きているにもかかわらず、業界組織として具体的な改善措置を取らないでいる 」ということも、「二次加害」のひとつになるのではないかと感じています。》

長崎事件裁判原告記者の言葉を繰り返します。

私がしたいのは、被害 にあった人がその後も生きられる像を示すということです。傷つけられてあとは小さくなって生きるのではなく、 傷つけられた後も人生に充実を求め、命を守るためやむなく訴訟をしないのではなく、訴訟をしてなお人が総合的回復を目指せる、そのことを示したかったのです。
記者への暴行や根拠なき中傷はあって はならないと明確に司法に示してもらいたいです。報道陣が脅かされた時、「ひどいことだ」と言えて、民主主 義を追求できる日本であってほしいのです。この訴えが記者の、とりわけ女性記者の安全を保障し、取材や報道の自由が日本で保障・確立されますようよい内容の判決を期待致します。

私は救済されなかった性暴力被害者でもあるジャーナリストとして、原告記者の言葉により、より多くのサバイバーが回復に繋がること、2022年5月30日の判決が公正な司法判断でることを願っています。日本の取材や報道の自由が保障・確立され、性暴力と二次加害を許さない、被害者に優しい社会になり、レイプ神話に依存した言説による性暴力被害者への「被害者批判」(ヴィクティムブレーミング)を許さない社会にしていく取り組みが、日本に暮らすすべての人を生きていきやすくできると考えています。

この記事が必要な人に届きますように。

文:フリーランスジャーナリスト 郡司真子

連絡先 cocorokotoba@gmail.com メールかTwitterリプライやDM下さい。

郡司真子Masako GUNJI
@bewizyou1
性暴力から生きのびるために
先日結審した長崎事件裁判の原告意見陳述が多くのサバイバーにとって、生きのびる力になると考えて書きました。
性暴力についての表現があり、被害経験のある方は、フラッシュバックの可能性があります。ご無理のない範囲で読んで下さい。
makog.theletter.jp/posts/26dde120…
性暴力から生きのびるために 報道機関の女性記者が長崎市幹部から性暴力を受けたとして、長崎市に損害賠償と謝罪を求めている裁判が結審しました。記者への取 makog.theletter.jp
2022/02/09 13:16
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追記:裁判によって回復していく原告記者とエネルギー溢れる弁護団、支援の皆さんを取材しながら、一方で、性暴力被害者が司法に繋がる難しさも課題であると感じました。私のように組織から離れた人間を労組は守ってくれないし、弁護士も冷たいという実体験があります。

性暴力に関する取材で話した複数の弁護士によると、性暴力被害者側をまともに担当すると、弁護士事務所が潰れるくらい大変というのが、通説だそうです。だから性暴力案件を受任する弁護士は限られているし、費用が潤沢に確保できるか、もしくは盤石な体制や支援組織を用意するしか、司法に繋がれないのが現実です。

今回の裁判は、新聞労連が全面的に支援をしていて、弁護団は最強と言えます。それだけ、この司法判断は、記者の人権、取材、報道の自由、知る権利がかかわる重大な事案だということを多くの人、特に、報道に関わる人に気づいてほしいのです。

長崎事件裁判は、地裁において、公正な司法判断がなされることを望みます。同時に、すべての性暴力被害者が司法に繋がりやすくなるための取り組みが必要です。

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